2/19 ナラティブひろば代表 小笠原映子

今週も、ナラティブ絵本を制作する「ナラティブひろば」の代表 小笠原映子(おがさわら・えいこ)さんをご紹介します。

小笠原さんはこれまで、看護師や保健師、産業カウンセラーとして働く人のメンタルヘルスに関わってきました。そんな中で考案したのが、カウンセリングと絵本作りを掛け合わせた「ナラティブ絵本」です。ナラティブとは、英語で「物語」「語り」という意味があります。

クライアントの思いや過去の経験を聞きながら、どんなストーリーに落とし込むのか、どんなタッチのイラストで仕上げていくのか、何度もやりとりしながら進めていきます。
この過程がカウンセリングにおいてとても大切なのだとか。

最近完成した「ふわふわちゃん」は、過去に教育虐待を経験した40代の女性が制作した作品です。辛い過去でフラッシュバックが起きてしまうため、人間を主人公にせず「ふわふわちゃん」というキャラクターを作り、ナラティブ絵本を制作しました。

柔らかくて傷つきやすいふわふわちゃんが、無理に頑張ることで鎧の身体になってしまいますが、最後は鎧を脱ぎ捨てて、元のからだに戻り「ふわふわのままで良いんだよ」と言ってくれる人たちに守られる、というストーリーです。
作者は、この絵本を制作したことで不安定さが軽減したとか。

小笠原さんはナラティブ絵本制作のワークショップも開催しています。

自分と向き合う良いきっかけになりそうですね。

小笠原さんは今後の目標について「ナラティブ絵本をもっと知ってもらうこと」と話します。
人生を振り返る「自分史」としての制作もおススメしているそうです。

ナラティブ絵本公式サイトはこちら

2/12 ナラティブひろば代表 小笠原映子

高崎在住の小笠原映子(おがさわら・えいこ)さんは、ナラティブ絵本を制作する「ナラティブひろば」の代表を務めています。

小笠原さんは、看護師を12年経験したほか、保健師や産業カウンセラーとして働く人のメンタルヘルスに関わってきました。そんな小笠原さんが考案したものが、自身の物語を絵と文章で表現する「ナラティブ絵本」です。

カウンセリングで気持ちが前向きになっても思考のクセで、またネガティブになってしまう…。その時に、自分で作った絵本を目にすることで、当時の決意や気持ちを思い出してもらおう!そんなセルフケアのアイテムとして、ナラティブ絵本を考案しました。

これまでに「癌を経験した方の物語」や、特定の場面で話すことができない「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」をテーマにしたものなど、色々な作品を手掛けてきました。

絵本のイラストは、登録しているイラストレーターの中から好みのタッチを選び、色味なども細かくやりとりしながら制作していきます。
4ヶ月~半年ほど長い時間をかけて作っていくのですが、この過程がカウンセリングにおいても非常に大切なのだとか。

高崎在住の小笠原映子さんが考案した、カウンセリングと絵本作りを掛け合わせた「ナラティブ絵本」。

来週は、これまで手掛けた作品を紹介していきます。

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2/5 ネイルデザイナー 赤石佳津江

赤石さんは、伊勢崎出身・在住の48歳。

ネイルサロンとネイルスクールを経営しています。

その傍らネイルデザイナーとして爪華師(そうかし)という団体にも所属し、ネイルデザインのランウェイショーなどにも出品しています。

爪華師は、ネイルに特化したランウェイショーを運営している団体です。

日本国内でネイルのランウェイショーを多数開催しているほか、4大コレクションと言われるミラノ、パリ、ロンドン、ニューヨークのコレクションに爪華師デザイナーが参加しています。

通常のサロンワークとは全く異なるネイルがメインとなるデザインを世界に向けて発信していく活動に魅力を感じて、一昨年(2023年)の11月から赤石さんも所属するようになったそうです。

そんな爪華師の一員として、赤石さんは去年9月初めてパリコレクションにネイル作品を出品しました。

海外のコレクションに出品するためには、まず爪華師が国内で開催しているランウェイショーでの選考を突破しなければなりません。

その選考で見事選ばれパリコレ出品が決まった時は、信じられなく嬉しい気持ちだった反面、爪がメインとなる立体的なデザインを考えることに頭を悩ませたそうです。

試行錯誤を重ねて実際にパリコレに出品した2つのデザイン。

どちらも立体的なデザインで、長さは10センチ前後です。

1つは、白い桜を散りばめたデザインで、ワイヤーで繋がったパールが流れるように爪から垂れています。

もう1つは、マゼンタのような赤紫の蘭をイメージしたデザインで、歩く度にラインストーンがキラキラと揺れて輝くのが特徴です。

パリコレは、ザ・ウェスティン・パリ・ヴァンドームで開かれ、世界各国のモデルやデザのかたの方などが集まっていてとてもきらびやかな雰囲気だったそうです。

パリコレの中でネイルがメインのランウェイは爪華師のランウェイのみ。

海外のネイルはシンプルなデザイナが多いそうで、細かくて立体的なデザインに世界中のモデルやデザイナーの方が関心を持って驚いてくれたことが嬉しかったと語ってくれました。

(デザイナー紹介としてランウェイを歩いた赤石さん 手前 )

今後は、もっと日本のネイルの繊細さや優美さを世界中に伝えたいと思いを語ってくれました。

 

グンマドンナ

2週にわたり、伊勢崎出身・在住でパリコレクションにネイル作品を出品したネイルデザイナー 赤石佳津江さんをご紹介しました。

 

赤石さんのInstagram

1/29 ネイルデザイナー 赤石佳津江

赤石さんは伊勢崎市出身・在住の48歳。

伊勢崎市でネイルサロンとネイルスクールを経営しています。

お客さんに施術をしたり、講師としてネイリストを育成するほか、去年はネイルデザイナーとしてパリコレクションにネイル作品を出品しました。

そんな赤石さんですが、子どものころ爪噛みの癖があり爪の形がコンプレックスでした。

ある日愛読していた雑誌のネイル特集を読んでネイルサロンに行き、スカルプチャーネイルをしてもらったそうです。

爪を綺麗にして自信を持たせてくれたネイリストに憧れ赤石さん自身も志すようになり、ネイルスクールに通い始めました。

東京、埼玉のサロンで経験を積み、20年ほど前に地元群馬県にもネイルの魅力を広めたいと考え、地元伊勢崎にネイルサロンを立ち上げたそうです。

しかし、当時の群馬県ではネイルに関心を持っている人が少なく、ネイルサロンの存在やネイルをすることの楽しさを広めることに苦労しました。

赤石さんは、次のネイルにワクワクし毎月のモチベーションにしてもらうため、随時新しいネイルサンプルを作ることを心がけています。

お客さんと相談しながらデザインを決め、完成したときのお客さんの笑顔が赤石さんのやりがいいになっています。

グンマドンナ

今週は、伊勢崎市出身のネイルデザイナー赤石佳津江さんをご紹介しました。

来週は、ネイルデザイナーとしてパリコレにネイル作品を出品した際のお話を伺っていきます。

お楽しみに!

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1/22 極真空手 無差別級 元全日本チャンピオン 福田美み子

今週も、極真空手無差別級 元全日本チャンピオンの福田美み子(みみこ)さんをご紹介します!

23歳から空手を始め、2007年には極真空手 無差別級で「世界第3位」に。2009年には全日本チャンピオンに輝いた福田さん。

現在は、自身が考案した「MIND KARATE」を広める活動をしています。MIND KARATEとは、空手の呼吸と動きをベースにしたもの。集中力を高めたい時やイライラしてしまう時など、自分をリセットしたい時におススメだそうです。

そして、去年12月には大阪・関西万博を見据えた「国際交流プログラム」の一環で、ミクロネシアで空手を教える活動を行ってきました。

今後は、福田さんが合言葉にしている「自分のポテンシャル舐めんなよ」をモットーに
自身の活動を突き詰めていきたい、と話して下さいました。

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1/15 極真空手 無差別級 元全日本チャンピオン 福田美み子

極真空手 無差別級 元全日本チャンピオン 福田美み子(みみこ)さんご紹介します。
福田さんは高崎出身在住の47歳。23歳のころから空手を始めました。当時は格闘技ブームだったこともあり「何か運動してみたい!キックボクシングや格闘技も良いな…!」と、軽い気持ちで始めたのがきっかけだったとか。

最初は習い事感覚で始めた空手でしたが、先輩たちが熱心に練習に取り組む姿に魅了され、「生きるパワー」を感じたそうです。「上手くいかないこと」が、逆に福田さんの闘志に火をつけ、空手にのめり込んでいきました。

2007年には極真空手 無差別級で世界第3位に。この時の試合は「完全にやり切った」と断言できるものだったそうです。その後、2009年には極真空手 無差別級で全日本チャンピオンに輝きました。

現在は、空手の動きと呼吸を取り入れた「MIND KARATE」を広める活動などを行っています。

来週も、極真空手 無差別級 元全日本チャンピオンの福田美み子さんをご紹介します!
どうぞお楽しみに!

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1/8 ままよしプロジェクト代表 石山恵里

石山さんは、みどり市在住の43歳。

ままよしプロジェクトとして、マルシェやイベントを開催し、大間々を盛り上げる活動をしています。

そして去年10月、その活動の延長で駄菓子屋パンドールを開店しました。

駄菓子屋パンドールは、子どもたちが放課後に集まれる場所を作りたいという思いから開店しました。

小学3年生と6年生のお子さんがいる石山さんは、コロナ禍で放課後に友だちの家に遊びに行くという文化がなくなってしまったと感じていました。

そこで安心して子どもが集まって交流できる駄菓子屋を始めることにしたそうです。

駄菓子の売り場と、その横には机と椅子があり宿題をすることもできます。

奥には広いスペースがあるためボールを投げたり走り回ることもできます。

小学生だけでなく中高生もよく訪れるそうで、年上の子がお勉強を教えたり、年齢に関係なくみんなで遊んで過ごしています。

ままよしプロジェクトや駄菓子屋パンドールをする上で一番のやりがいは、子どもの友だちが増えたことだといいます。

やりたいことを何でもすぐにやるような姿が斬新で、一緒にいると石山さん自身も子どもに戻ったような気分になれて元気がもらえるそうです。

駄菓子屋パンドールは、現在週に2回、月曜日と金曜日に開いてます。

本業の仕事をしながら趣味として駄菓子屋を営んでいるため毎日開くことはできていませんが、ほかの仲間と協力したり新たなコンテンツをつけることでいつでも集まれる場所にしていくことが石山さんの目標です。

2週にわたり、みどり市在住で、大間々を盛り上げる活動を行う ままよしプロジェクト代表の石山恵里さんをご紹介しました。

ままよしプロジェクトInstagram

1/1 ままよしプロジェクト代表 石山恵里

石山さんは、東京都出身・みどり市在住の43歳。

ままよしプロジェクトの代表として、マルシェやイベントを開催し、大間々を盛り上げる活動をしています。

ままよしプロジェクトでは、年に数回マルシェを開いたり、2か月に1回ほどゴミ拾いをする朝活というイベントなどを開催しています。

結婚を機に大間々に移住してきた石山さん。

最初は、夫が営む居酒屋「うおふじ」の駐車場を活用しようという話からイベントを開くようになったそうです。

大間々のいいところをもっと広めたいという思いからSNSも立ち上げ、マルシェを開催するなど本格的に活動するようになりました。

マルシェを開催すると、地域の人が次々と協力してくれるようになり仲間が増えていったそうです。

移住してきた当初は、知り合いもいなければ車の運転もできず寂しさや心細さを感じたときもありました。

ただ、外から来た人を排除せず受け入れてくれた大間々の人々の良さに魅力を感じて大間々のことが大好きになっていったそうです。

マルシェは、県内の飲食店の出展や雑貨などが販売されるほか、イライラ棒やストラックアウトなどが楽しめる子ども縁日、みどり市の竹を使った工作ができるワークショップなど内容盛りだくさんで、1000人以上の方が訪れます。

仕事とは別のところでままよしプロジェクトの活動をしているので、大変なこともあるそうですが、石山さんは遊びや文化祭のような意識で活動に取り組んでいます。

マルシェやイベントには小学生からシニア世代まで幅広い年代の人が訪れて、年齢に関係なくみんなが友だちになって楽しんでいます。

そのように楽しむ町の人々の姿や、町を盛り上げてくれてありがとうという地域の人の言葉が石山さんのやりがいになっています。

最後に、ままよしプロジェクトの活動を通して県内の人に伝えたいメッセージを伺いました。

「大間々は楽しいところなので遊びに来てほしいです。プロジェクトのメンバーもどんどん募集しているので、大間々の人も大間々以外の人も楽しみながら一緒に活動出来たら嬉しいです!」

今週のグンマドンナは、大間々を盛り上げる活動を行うままよしプロジェクト代表の石山恵里さんをご紹介しました。

来週もお楽しみに!

ままよしプロジェクトInstagram

12/25 車いすバスケ 元日本代表 塚本京子

塚本京子さんは太田市在住。車いすバスケ 元日本代表です。1984年のニューヨーク・アイレスベリーパラリンピックから6大会連続 パラリンピックに出場し、2つの大会で銅メダルを獲得しました。そして、2002年に日本人プレイヤーとしては初のIWBF(国際車椅子バスケットボール連盟)のゴールドメダル トライアッド賞も受賞!長年にわたり、日本の車いすバスケの第一人者として
活躍を続けたことが評価されました。

現在は、関東で活動する車いす女子バスケクラブチーム「ELFIN(エルフィン)」でアシスタントコーチ兼プレイヤーとして活動しています。

ELFINはスタッフ含め18人。月に2回、伊勢崎や埼玉、東京などでも練習を行っています


指導する上で大切にしていることは「車いすバスケの楽しさを伝えること。」車いすバスケの魅力については「チームでプレイができ、仲間と一緒に喜べるところ」と話して下さいました。速攻が決まった瞬間が最高!とのこと。

車いすバスケは生で観戦すると、その迫力とスピード感に圧倒されるスポーツ!ぜひ試合を観に来て欲しい、と話して下さいました。
選手歴は45年。まだまだ頑張れる!と自分に喝を入れて練習に励んでいます。

ELFIN Instagramはこちら

車いすバスケ 元日本代表 塚本京子さんをご紹介しました!

12/18 車いすバスケ 元日本代表 塚本京子

塚本京子さんは、車いすバスケ 元日本代表。太田市在住です。
高校3年の時、交通事故に遭い入院。リハビリ専門病院に入院していた際、トレーニングの体育の授業でパラスポーツを体験する機会があり、車いすバスケに出会いました。小学校からバレーボールをしていたこともあり、スポーツ好きだった塚本さん。車いすバスケの練習にのめりこむようになりました。

1981年に車いすバスケの女子日本代表チームが結成され、代表入り。1984年には、ニューヨーク・アイレスベリーパラリンピックに初出場し、見事、銅メダルを獲得しました。その後も、88年のソウル、92年のバルセロナ、96年のアトランタ、2000年のシドニー、2004年のアテネと6大会連続出場!2000年のシドニーでは、16年ぶりとなる銅メダルに輝きました。

そして、2002年に日本人プレイヤーとしては初のIWBF(国際車椅子バスケットボール連盟)のゴールドメダル トライアッド賞を受賞!

長年にわたり、日本の車いすバスケの第一人者として活躍を続けたことが評価されました。この日はサプライズで受賞が発表され、娘さんやご主人もこっそり現地入りしていたとか。

選手歴は45年。現在もプレイヤーとして活動している塚本さん。

来週は現在のチームについて伺います。
どうぞお楽しみに!