12/18 車いすバスケ 元日本代表 塚本京子

塚本京子さんは、車いすバスケ 元日本代表。太田市在住です。
高校3年の時、交通事故に遭い入院。リハビリ専門病院に入院していた際、トレーニングの体育の授業でパラスポーツを体験する機会があり、車いすバスケに出会いました。小学校からバレーボールをしていたこともあり、スポーツ好きだった塚本さん。車いすバスケの練習にのめりこむようになりました。

1981年に車いすバスケの女子日本代表チームが結成され、代表入り。1984年には、ニューヨーク・アイレスベリーパラリンピックに初出場し、見事、銅メダルを獲得しました。その後も、88年のソウル、92年のバルセロナ、96年のアトランタ、2000年のシドニー、2004年のアテネと6大会連続出場!2000年のシドニーでは、16年ぶりとなる銅メダルに輝きました。

そして、2002年に日本人プレイヤーとしては初のIWBF(国際車椅子バスケットボール連盟)のゴールドメダル トライアッド賞を受賞!

長年にわたり、日本の車いすバスケの第一人者として活躍を続けたことが評価されました。この日はサプライズで受賞が発表され、娘さんやご主人もこっそり現地入りしていたとか。

選手歴は45年。現在もプレイヤーとして活動している塚本さん。

来週は現在のチームについて伺います。
どうぞお楽しみに!

 

12/11 フタリテ代表 加藤美季

加藤さんは、渋川市出身・吉岡町在住の42歳。

美容サロンを運営しながら、今年の7月に子どもを持たない夫婦(=DINKs)のライフサポートコミュニティ「フタリテ」を立ち上げました。

フタリテでは月に1回交流会を開催しています。

DINKsであれば1人でも2人でも、女性でも男性でも参加することができます。

交流会では、初対面ではありますが、子どもがいないという共通の話題があるためすぐに打ち解けて悩みを共有するなど話は尽きないそうです。

 

交流会の他にも、イベントを開催して様々な活動をする人々を紹介したり、プレゼンテーションを行ったりしています。

そして今年の10月に群馬で初めて行われたぐんまレインボープライドにも参加しました。

レインボープライドでLGBTQ+の人々のお話を聞いたことで、子どもを持たない夫婦の課題というのはLGBTQ+の人々にも共通するものであることに気づいたそうです。

「同性婚や事実婚の方も含めたふうふ二人の会にしていこう」と心が決まったイベントだったと語ってくれました。

このように様々な家族の形を広める活動ということで、受け取り方も様々。

例えば、今子育てで大変な思いをしている人にとっては、子どもがいない悩みは贅沢な悩みだと感じる可能性も。

またDINKsの中でも、最初から子どもを望んでいない夫婦もいれば、加藤さんのように最初は欲しかったけど諦めた夫婦もいて、多様な背景があります。

そのため、新たな対立を生まないように、発信する上で言葉選びや多様な視点を持つことを意識しています。

様々なバックボーンがあることを互いに理解し合い、その先に生まれる夫婦ふたりで生きていくからこその課題や目指していくべき社会との繋がり方を考えていく機会を作ることがこの活動の一番の目的です。

フタリテとしての今の目標はまずは交流会をたくさん開催すること。

「悩みが解消されて自分の心が満たされれば、人は次に社会貢献をしようとする。

DINKsの人々が明るく生きていける社会になれば、もっと社会に役立てる存在になるポテンシャルがある世帯である」と加藤さんは語ります。

そして最終的には子どもがいる家族もいない家族も互いに助け合い、みんなが幸せに暮らしていける世の中にすることが加藤さんの一番の目標です。

今後の活動にも注目です!

フタリテInstagram

12/4 フタリテ代表 加藤美季

加藤さんは、渋川市出身・吉岡町在住の42歳。

26歳の時からビューティーアドバイザーの仕事をしていて、現在は美容サロンを経営しています。

その傍ら今年の7月に、子どもを持たない夫婦のためのライフサポートコミュニティ「フタリテ」を立ち上げました。

加藤さんは、子どもを持たない選択をした夫婦「DINKs(ディンクス)」です。

DINKsとは、「Double Income(共働き)No Kids(子どもを持たない)」の頭文字を取った言葉。

少子化対策や子育て支援が重要視される現代では、DINKsの人々は肩身の狭い思いをすることがあるそうです。

加藤さんは吉岡町に家を建てたころから、子どもがいない夫婦の生きづらさを感じるようになりました。

近所の子ども同士の繋がりや交流がよく行われる一方、子どもがいない加藤さん夫婦は隣近所とのお付き合いをする機会を持てませんでした。

また、回ってくる回覧板に挟まっているチラシの内容も自身に当てはまるものがないなど、地域社会との繋がりが希薄になってしまうという課題を感じたことから、フタリテを立ち上げることにしたそうです。

そんな加藤さんですが、最初から子どもを持たない選択をしていたわけではありません。

「結婚した次は出産」と思っていた加藤さんは、結婚当初は子どもを望み、不妊治療を行っていました。

しかし、婦人系の持病が悪化したことから、このまま不妊治療を続けるか、体のためにホルモン治療を受けて生理を止めるかの選択を迫られました。

その時に子どもを持つことにそこまで強い思いがあるわけでないということに気づいたそうです。

そして夫婦で話し合って、子どもを持たない決断をしました。

子どもが欲しいという気持ちの程度は人によって様々であり、1人の中でも時期によって変化するものであるので、1つの例として知っていただければと語ってくれました。

このようなご自身の経験から、DINKsに関する活動を始めたわけですが、現在はフタリテとして月に1回 交流会を開催しています。

子どもがいない夫婦で集まって、悩みや思いを共有しています。

少子化対策が謳われる中で、肩身の狭い思いをしているDINKsの人々が集まって、ざっくばらんにお話をする機会を広げていくことが加藤さんの願いです。

来週もフタリテの加藤美季さんにお話を伺います。

お楽しみに!

フタリテ インスタグラム

11/27 読み聞かせグループ 萠えぎの会

今週も、前橋を拠点に活動する読み聞かせグループ「萠えぎの会」をご紹介します。
代表の猿木尚子さんにインタビューしました。

「萠えぎの会」は1974年に活動をスタート。現在のメンバーは25名。60代~70代が中心で、最高齢は93歳の方も在籍しています。
前橋こども図書館を拠点に、高齢者施設や介護ホーム、保育園、児童養護施設、特別支援学校、土屋文明記念文学館などでもおはなし会を行っています。

2022年には、本の活動で貢献した団体に贈られる「野間読書推進賞」を受賞しました。

読み聞かせでは、かなり下読みに時間をかけ暗記できるくらいまで読み込んでおくそうです。子供たちにアイコンタクトをしながら読み聞かせをするため、途中で本から目を離してしまっても、すぐに読んでいる場所に戻れるようにするためです。

また、は手作りのパネルシアターを使った読み聞かせを行うほか、前橋こども図書館の入り口の「歳時記飾り」にも力を入れています。
その他、『牛乳パックで作るからくり絵本』のワークショップなども行い、様々な角度から子どもたちに楽しさを届けています。

活動から四半世紀。
これからの活動にも注目です!

 

11/20 読み聞かせグループ 萠えぎの会

前橋を拠点に活動する読み聞かせグループ「萠えぎの会」をご紹介します。
代表して、萠えぎの会 会長 猿木尚子さんにお話しを伺いました。

萠えぎの会の活動は、読み聞かせという言葉がそれほど浸透していなかった1970年代に始まりました。「女性の生き方」をテーマとした前橋中央公民館の講座を受講した10人が集まり、1974年に発足しました。

現在のメンバーは25名。60代~70代が中心で最高齢は93歳の方も在籍しています。
前橋こども図書館を拠点に、高齢者施設や介護ホーム、保育園、児童養護施設 特別支援学校、土屋文明記念文学館でもおはなし会を行っています。

そんな萠えぎの会は、2022年に「野間読書推進賞」を受賞しました。
地域において、長年 本の活動で貢献した団体に贈られるものです。

拠点とする前橋こども図書館では、月に3回「おはなしの会」と、赤ちゃん向けの「はじめて絵本のおはなし会」を開催しています。どんなお子さんが来ても対応できるように、色々な絵本を読んでイメージし、暗記できるくらい下読みをしっかりしているとか。

来週も、前橋を拠点に活動する読み聞かせグループ「萠えぎの会」をご紹介します。

どうぞお楽しみに!

前橋こども図書館 おはなしの会はこちら

11/13 バドミントン国際審判員 坂本恵美

坂本さんは、前橋市出身・在住。

世界バドミントン連盟に所属する国際審判員で、今年の夏のパリオリンピックで日本人女性で初めてオリンピック バドミントン競技の審判を担当しました。

教員の仕事と平行して国際審判の活動を行っていた坂本さん。

パリオリンピックの審判のオファーは、坂本さんが伊勢崎清明高校の教員をしていた1年前に連絡が来たそうです。

「国際審判になったからにはオリンピックで審判をしたい」と志していた坂本さんですが、コロナ禍であまり海外の大会にできていないこともあり不安に思う気持ちが大きかったそうです。

そこで、オリンピック本番までにできるだけ多くの国際大会で経験を積むため、30年ほど続けた教員を今年の3月で退職する決断をしました。

そしてオリンピックに向けては、昨年の9月にアジアのオリンピックと言われるアジア大会、今年1月にマレーシア、3月にフランス、5月にタイ、6月にオーストラリア、7月にカナダと世界各国の国際大会で審判し、経験を積んで挑みました。

このように数々の大会を経験していても、やはり当日は緊張するそうです。

特にプレッシャーを感じる場面が、最初の選手の名前を紹介するアナウンス。

審判もパフォーマンスを上げることが求められることから、呼び慣れない世界各国の選手の名前を真っ直ぐカメラを向いて間違えずにアナウンスしなければなりません。

ここで間違えてしまうと試合中も自分の中で引きずってしまうそうで、かなりプレッシャーがかかるところなのだそうです。

そして何より難しいことが、咄嗟の判断です。

ネット際のタッチやオーバー、服に触ってシャトルがアウトになることなどは全てフォルトという反則になるそうです。

ビデオ判定はラインのインアウトの判断しかできず、フォルトの判定は全て主審である坂本さんがしなければなりません。

常に向上心を持ってチャレンジし続け、目標の1つだったオリンピックの審判を担当した坂本さん。

この先の目標は、BWF所属のセミプロの審判になることです。

今は1試合担当するごとに報酬をもらっていますが、お土産を買ったらほとんど残らないほどだそうです。

セミプロは、1年間の給与をもらって各大会に派遣されるシステムなので、安定して審判の活動を続けることができます。

ただ、セミプロになるのも狭き門。

次の募集は2026年にあるので、今は英語力と審判技術を高めていきたいと語ってくれました。

そしてその努力の先にロサンゼルスオリンピックと、坂本さんの挑戦は続きます。

 

11/6 バドミントン国際審判員 坂本恵美

坂本さんは、前橋市出身・在住。

世界バドミントン連盟に所属する国際審判員で、今年の夏のパリオリンピックで日本人女性で初めてオリンピック バドミントン競技の審判を担当しました。

そんな坂本さんは、今年の3月まで30年ほど英語教諭として県内の高校に勤めていました。

小学生から大学生までバドミントンを続けてきた坂本さんは、バドミントン部の顧問をしていたことからルールを確認するため国内のバドミントンの審判員の資格を取得。

その後、英語の教員だったこともあり国際大会で審判を務められる国際審判員にチャレンジすることを勧められました。

ずっと教えてきた英語を使って大好きなバドミントンに携われる国際審判員に魅力を感じ、挑戦することを決心しました。

教員としてクラス担任や英語の授業を担当しながら、国際審判員の試験を受けることはやはり大変だったそうです。

まずは、アジアバドミントン連盟に所属するため、アジアジュニアの大会での試験に挑戦します。

坂本さんはその試験を突破し、2012年にアジアバドミントン連盟の認定の審判員になりました。

その後アジア大会で行われる試験を突破し、2016年に認定の審判員から公認の審判員になりました。

そうして2018年には、世界選手権などの大きな大会での試験に見事合格し、ようやくオリンピックの審判を担当する資格が得られる、「世界バドミントン連盟(=BWF)」に所属する国際審判員になりました。

このような大会はすべて外国で行われるため、教員と両立して行うと休みがほとんどなくなってしまうそうですが、それでも続けたいと思えるやりがいがあったのだとか。

1つは教員として、夢を追いかけて実現していく姿を生徒に見せられること。

2つ目は世界で活躍するバドミントン選手や、様々な国からきた審判の方と交流できること。

そしてそんな風に英語を使って交流できる楽しさを生徒に伝えることができること。

審判員としての活動が、教員の仕事にも繋がっていたそうです。

そんな坂本さんには、審判をする上で意識していること、モットーがあります。

審判をする上で、常に強くあることが一番大事だと言われているそう。

ただ、小柄で人に厳しくすることが苦手な坂本さん。

優しい雰囲気で安心してプレーできる空気作りも大事だと、威厳を出すことよりも自分らしさを大事にした審判を心がけています。

そのような人柄から選手と仲良くなることもあるそうですが、審判をするときは個人的な感情や先入観を一切持たないことも大事なポイントです。

今週のグンマドンナは、前橋市出身・在住のバドミントン国際審判員、坂本恵美さんをご紹介しました。

来週は、パリオリンピックの審判を務めたときのお話を伺っていきます。お楽しみに!

10/30 産婆 山田りえこ

今週も、自宅出産を専門とする産婆・助産師の山田りえこさんをご紹介します。

山田さんは、鹿児島県の奄美大島出身。群馬在住の妊婦さんの自宅出産をサポートするため
引っ越してきたのを機に、群馬に移住することになりました。

山田さんは、医学的なリスクなどを考えると「自宅出産は勧めていない」と明言します。
「お母さんたちがどうしたいか」を第一に考え、お産をサポートしているとか。

山田さんに自宅出産のサポートをお願いする理由は様々。「きょうだいや祖父母に見守られながら日常の中でお産したい」という声や「分娩台での出産がイメージできない」という声もあるそうです。

1年間に3~5人のお母さんをサポートするのが体力・気力的にもベストという山田さん。
今後は、自宅出産をしたいというお母さんの思いを実現するため、山田さんのような助産師の横のつながりを作っていくことが目標、と話してくれました。

お産をサポートしたお母さんとは、出産後も長く交流が続きお子さんの成長に寄り添えるのが、この仕事の醍醐味!と話してくださいました。

山田りえこさんInstagramはこちら

10/23 産婆 山田りえこ

山田りえこさんは、鹿児島県の奄美大島出身。
2年前に群馬に移住してきました。
自宅出産を専門とする産婆・助産師として活動しています。

山田さんが師と仰ぐのは、全国各地で自宅出産のお手伝いを引き受けてきた
宮城県出身の須江孝子(すえ・たかこ)さんという助産師です。
須江さんとの出会いがきっかけになり、病院勤務の助産師から自宅出産の助産師になりました。お母さんに全身全霊で寄り添う姿に感動したそうです。

群馬で自宅出産をサポートするために引っ越し、そのまま移住することになった山田さん。
「自宅で出産したい」というお母さんたちの思いに応えていますが、医学的なリスクなどを考えると「自宅出産は薦めていない」と話します。あくまでも「お母さんがどうしたいか」の思いに寄り添い、その実現のお手伝いをしています。

自宅出産は、日常を感じられるところが魅力と話します。

来週も、自宅出産を専門とする産婆・助産師の山田りえこさんのインタビューをお届けします。
どうぞお楽しみに!
山田さんInstagramはこちら

山田りえこさんドキュメンタリームービーはこちら

10/16 高校教諭 小関かなこ

今週も桐生市出身・在住の37歳、高校教諭の小関かなこさんをご紹介します。

小関さんは現在母校の桐生市立商業高校に勤め、ビジネス研究部の顧問として地域を盛り上げる活動を精力的に行っています。

去年から、わたらせ渓谷鉄道と連携して”ゾンビトレイン”という活動をしています。

ゾンビトレインは、コロナ禍で減ってしまったお客さんを呼び込むため、日光市の副市長とわたらせ渓谷鉄道の社長が始めた企画です。

お化け屋敷のような装飾をした電車内で、プロの怖がらせ隊がゾンビの格好をして乗客を脅かしたりダンスで楽しませたりしています。

1年目は演劇部のみがゾンビになり、ゾンビトレインに参加していました。

その活躍を見たビジネス研究部の生徒から、違う形で私たちもゾンビトレインを盛り上げたいと小関さんに相談があり、今年はゾンビトレイン内で販売する飲み物の商品開発をしました。

ゾンビトレインにふさわしい怖い雰囲気を出すため生徒が考案した飲み物が、「血の池目玉ジュース」。

ブドウの炭酸飲料で血の池を表現し、インパクトのある目玉を浮かべました。

そして、ビジネス研究部は今年の9月桐生市にオープンしたスターバックス桐生市場店とコラボすることになりました。

このコラボは、小関さんが偶然スターバックスの店長になる方と話す機会があり、ビジネス研究部の活動を知ってもらったことがきっかけで始まったものだそうです。

ビジネス研究部では、桐生織の端切れを買い取ってヘアアクセサリーにして販売する活動をしていました。

それをスターバックスの内装にも生かそうと生徒と話し合い、スタッフが着用する蝶ネクタイと入口に設置するウェルカムボードを桐生織を用いて作成することになりました。

このように小関さんが教えるビジネス研究部の生徒は、積極的に活動に参加したり、アイディアを出したり自発的に行動しています。

生徒が主体性をもって活動するために小関さんが意識していることは、責任感を持たせること。

一人ひとりに責任のある仕事を割り振ることで主体性を持つようになり、その成功体験ややり切った達成感から自発的に考えて行動できる生徒になっていくそうです。

そんな小関さんの今後の目標は、退職した後に教え子の活躍を見続けることです。

主体性をもって行動できるようになった生徒は、数十年後どこかで何かを成し遂げたり活躍をしているはず。

そんな生徒の活躍する姿を教員を退職してからもずっと見続けられたらと語ってくれました。

桐商の生徒と小関さんの活躍がこれからも楽しみです!

2週にわたり、桐生市出身・在住の高校教諭 小関かなこさんをご紹介しました。