9/26 BENTO 261 金伽倻(きんかや)

高崎にあるレンタルスペースで週2日営業のお弁当やさんをひとりで切り盛りしていた金伽倻(キンカヤ)さん。昨年5月に県立土屋文明記念文学館内にお店を移転し、お弁当だけでなくランチ・カフェのレストランとして「BENTO 261」を経営し、自ら厨房に立っています。

今の場所に移転が決まったとき、とてもひとりでは賄えないのでスタッフを増やそうと思った金さんですが、募集すること無く、自然とスタッフが集まったそうです。

ひとりは「もし店舗を移して新しいお店をオープンするときは、是非声をかけてもらいたい」と連絡先を書いた置き手紙残してくれたお弁当のお店のお客さん。もうひとりは金さんがお弁当やおかずをアップしていたSNSを見ていた人で、新規移転オープンのお知らせを見て「ぜひ移転のタイミングで一緒に働かせてほしい」と連絡があったそうです。お弁当ファンが自然とスタッフになり移転オープンを迎えられたことに、ご縁を感じると金さんは微笑みます。

こだわりは、群馬県の食材、地元生産者のものを積極的に使いたいということ。化学調味料、保存料使わず、食材の味を楽しめるお弁当を作ること。そして「美味しい上に美しい」「清潔感」を大切に作ること。

そんな金さんにとって、お弁当も料理も自分を表現する手段のひとつ。今後はまた違う切り口で何か始めてみたいという気持ちもあるそうです。たとえば、日本酒の資格もいろいろ持っているため、それを活かした「お弁当とお酒が楽しめるお店」「割烹着を着た居酒屋」などにも憧れているそうですよ。

金さんのお店「BENTO 261」では、お弁当だけでなく、オードブルのテイクアウトも実施しているほか、不定期で韓国風の海苔巻き・キンパ教室も開催しています。

「BENTO 261」  https://tsuruichi.jp/

インタビュー:川上直子

 

9/19 BENTO 261 金伽倻(きんかや)

金伽倻(キンカヤ)さんは、県立土屋文明記念文学館の中にあるレストラン「BENTO 261(べントー ニーロクイチ)」を経営し、自ら厨房に立っています。261は、会社の名前ツルイチcomから来ています。金さんの生まれた北海道釧路市がタンチョウヅルの町で、鶴舞う形の群馬県とのツルつながりで、ツルイチと名付けたそうですよ。

現在は、テイクアウトのお弁当とランチ・カフェのレストランを営業をしていますが、以前は高崎市にあるレンタルスペースMOTOKONYAで一人でお弁当を手作りし、週2日だけ販売していたそうです。

もともと何かを作るのが大好きだった金さん。特にお料理に関して、レシピを教えて欲しい、レシピ開発をしてほしい、お弁当を作って欲しいといった声がかかるようになり、お弁当やさんをやってみたい!と思うようになったそうです。お店を開店するにあたり、どこかいい場所はないかと知り合いに相談してみたところ、レンタルスペースMOTOKONYAで、とりあえず週2日くらいから始めてみたら?と奨められ、一人でやるには週2日がいいかなとスタートしたそうです。

大変だったのは、やはり買い出し。野菜ソムリエの資格を群馬で取得した関係で、生産者や青果関連の知り合いもたくさんいる金さん。群馬の食材にこだわっていたため、生産者のところを直接回って食材を調達するのが楽しくもあり、なんと言っても時間がなくひとりでは本当に大変だったとのこと。

そんな金さんの作るお弁当のポイントは、「地元でとれる群馬県の食材を集めて詰め込む。」「お弁当を開けたときにキレイだな美味しそうだなと一目でわかる彩りのよいお弁当。」「ご飯が美味しく食べられるよう品数も多く」。

    

 

食べた方からの「美味しくてキレイで頼んでよかった!」「子どもが普段食べない野菜をそちらのお弁当で食べるようになりました。」といった声にやりがいを感じ、もっと頑張って群馬の食材を美味しく食べてもらいたい!工夫したい!という気持ちになるそうです。

金さんの美しいお弁当は、BENTO 261のHP内、アルバムページでチェック♪

https://tsuruichi.jp/

インタビュー:川上直子

 

9/12 日本酒Bar「KOUBA」店主 唎酒師 田口玉美

2017年12月1日、伊勢崎市曲輪町に「日本酒Bar KOUBA」をオープンした唎酒師・田口玉美さん。

群馬の地酒の大ファンになっていた田口さんは、美味しい群馬の地酒や全国のお酒50種類ほどを取りそろえて一人でお店をオープン。「美味しいおつまみがあって、お酒がすすむ」という思いから、なるべく地のものを使って美味しいお料理と美味しいお酒のペアリングを楽しんでいただこうと、出来る範囲で料理も自分でしていたそうです。

しかし、同時間帯に、どどどっとお客様が重なることも増え、一人では料理を出したり、日本酒の魅力を紹介ながら提供したりすることが難しくなってきます。そこで料理を任せる料理人を採用。「この料理には、このお酒がぴったりですよ」といった提案に専念できるようになり、”料理と日本酒のペアリングを楽しめる店”という田口さんの理想に近づきました。

        

酒蔵さんが我が子のように大切に作ったお酒を、地元の食材とあわせてより一層美味しく召し上がっていただけるように・・・という思いを大切にしている田口さん。「今後は日本酒好きな方々と酒蔵さんとの交流の場をお店で持てるようにイベントを組んだり、大人の遠足のように、日本酒好きな方々と一緒に酒蔵を訪問し、深く日本酒を知ってもらう機会を作りたい」と、さらなる充実を目指します。

日本酒Bar KOUBA

伊勢崎市曲輪町2-11

https://ja-jp.facebook.com/sake.kouba/

インタビュー:川上直子

9/5 日本酒Bar「KOUBA」店主 唎酒師 田口玉美

田口玉美さんは足かけ2年の準備期間を経て、昨年12月1日、伊勢崎市に日本酒Barをオープンし、唎酒師として自らカウンターに立っています。

会社員だった田口さんは、美味しいものの食べ歩きが好きで、居酒屋、Bar、カフェなど楽しんでいたそうです。また、日本酒も好きで酒屋さんに出入りしていたところ、「そんなに日本酒が好きなら、今度群馬の地酒フェスタというイベントがあるから言ってみたら?」と誘われ、出かけたところ、群馬の地酒にこんなに種類があって、しかも美味しい!ということに初めて気づき、酒蔵さんが目をキラキラさせて自分の作ったお酒のことを大事そうに話すのを見て、群馬の地酒のファンになったそうです。「そうだ!群馬のお酒を私のように知らなかった人が地元でもたくさんいるはず。だったら、群馬の地酒を皆さんに紹介するようなお店をしたい」と思うようになります。

そしてまず、「日本酒バーをしたい!」と自ら言いふらし、応援してくださる方からの情報で、今のお店の物件が決定。経験がないとだめだろうと、高崎にある日本酒バーで修行。古民家の改装をする見積もりが高額だったため、自分でできることはやろう!と、会社が終わった夕方から壁を壊したり、新しく出来た壁に色を塗ったり・・・休みの日には家族にも手伝ってもらい、9ヶ月かかってお店が完成したそうです。

      

お店の名前KOUBAに、●何かを生み出す町工場のような場所 ●酵母の醸す酒のある場所 ●日本酒好きの交流の場所 という思いを込め、2017年12月1日にオープンした「日本酒Bar KOUBA」。群馬の地酒応援隊を自称する田口さんによって、進化を続けています。

日本酒Bar KOUBA

伊勢崎市曲輪町2-11

https://ja-jp.facebook.com/sake.kouba/

インタビュー:川上直子

 

8/29 脱毛症の子ども用ウィッグ専門ショップ 「DREAM ASSORT」代表 新井舞

脱毛症の娘を持つ新井舞さんは、脱毛症の子どもたちが快適に、気軽につけられるウィッグ=かつらを開発し、ネットショップ「DREAM ASSORT」で販売しています。

娘の治療記録をブログで発信している新井さんは、同じ脱毛症の子を持つ母親とブログを通じて交流があり、ウィッグ開発にあたってブログ読者に「こんなウィッグがあったらいいな」というアンケートを実施。そのアンケート結果と自分のアイデアを会わせて企画書を作成し、国内のウィッグメーカー数社にメールで送ります。しかし、なかなか返信がなく落ち込んでいたところに、やっと1社から「素晴らしい案です。」と返信が来て、開発プロジェクトがスタートしたそうです。

最初に思い描いていたウィッグは問題点もあり実現出来なかった部分もあったものの、ウィッグのプロからの提案もあり、徐々に仕上げていくことができたそうです。

「まず、子どもが付けた時に不快感を感じないこと、これが絶対条件。もう一つ大事なことが、とにかくお手入れが簡単なこと。人毛は自然に見える分、取り扱いが難しく手入れも大変なので、あえて人工毛にすることで手入れも簡単で、かつ子ども独特のツルッとした髪の毛の質感がでるよう開発に取り組みました。」 と語る新井さん。開発にあたっては娘さんが試着し、2ヶ月の施用テストを経て着用感などを報告、それをもとに改善点を洗い出す・・・その繰り返しだったということです。

完成してからはオンラインウィッグショップ「DREAM ASSORT」を開設し、「DREAM ASSORT」名義でのSNSアカウントも開設。並行して、公式LINE@でお悩み相談もスタートしました。「ウィッグを作って販売するだけでなく、同じ病気の子どもやそのご家族の心に寄り添えるような総合サポート的な事業を行っていきたい。子どもの心のケアはママの笑顔があってこそ。自分の経験を通して明確なアドバイスができるよう、いろいろな経験を積んでいきたい。」と新井さんは目を輝かせています。

新井さんが開発した脱毛症の子ども用ウィッグ「Fun Kids Wig!」は、さらに進化すべく改良中で今年秋頃、再度販売スタート予定です。

https://dream-assort.wixsite.com/dream-assort

ブログ「だいすき~小児脱毛症と戦うわが子~」  https://ameblo.jp/yumemama-924

インタビュー:川上直子

 

8/22 脱毛症の子ども用ウィッグ専門ショップ 「DREAM ASSORT」代表 新井舞

前橋市在住の新井舞さんは、脱毛症の子どもたちが快適に、気軽につけられるウィッグ=かつらを開発し、ネットショップ「DREAM ASSORT」で販売しています。

新井さんの次女が生後11ヶ月のときに脱毛症となり、3歳頃にはもう帽子では隠せないくらい脱毛が進行してしまったそうです。そのとき初めてフルオーダーのウィッグを作ったものの、出来上がってきたウィッグを娘さんが付けた時「チクチクして痒い!」と嫌がり、なんと受け取ったその日から付けることを拒否・・・なんとか使ってもらおうと、チクチクしないようにガーゼやフェルトなどを裏側に縫い付けるなど工夫をしてみたものの、うまくいかなかったそうです。

また、娘さんの脱毛症の症状が、小さい脱毛斑がいくつもできる多発型から、髪はもちろんまつげや眉毛など毛がすべて抜け落ちてしまう汎発型に進行したとき、新井さんは治療記録を残す目的でブログを開設しました。このブログには脱毛症の子どもを持つお母さんたちからの反響が思った以上に寄せられ、お母さん達との交流が始まります。この交流を通して、今自分で使っているウィッグの問題や、子どもの脱毛をどう隠せばいいかなど、悩みをかかえる人が多いことに気づきます。そんなお母さん達の声や自分の経験をもとに、より快適なウィッグを作れないか?と思い至ります。

そしてその思いを強く後押ししたのが、娘さんの言葉でした。

小学校入学が近づいている頃、冬から春先にかけて生えそろっていた髪が再びいっきに抜け初め、母親である新井さんは小学校生活が心配でどうしようもなくなってしまい、いけないことと思いつつ娘さんの前で泣いてしまいます。もちろん娘さんも大泣き。ただ、娘さんは泣きながら「髪の毛のことは辛くない。ママが泣くから辛いんだよ」と言ったそうです。新井さんはこの言葉に衝撃を受け、「二度のこの子の前で泣くことはしない!」と誓います。そして、今この瞬間も、自分たちと同じように涙を流している親子がきっとどこかにいるはず・・・その人達のためにも何かできることがあるのではないかと思い、ウィッグ開発への思いを強くしたそうです。

新井さんが開発した脱毛症の子ども用ウィッグ「Fun Kids Wig!」は、脱毛した頭皮に触れる部分に肌にやさしいネットを使い、帽子をかぶって使うもので、3種類あります。

https://dream-assort.wixsite.com/dream-assort

ブログ「だいすき~小児脱毛症と戦うわが子~」  https://ameblo.jp/yumemama-924

インタビュー:川上直子

8/15 いせさき銘仙の会 代表世話人 杉原みち子

杉原みち子さんは「いせさき銘仙の会」代表世話人。会では、伊勢崎銘仙の魅力をPRし、後世に伝えるため様々な活動を行っています。

そんな中のひとつとして、伊勢崎銘仙のひとつ・併用絣を復刻するプロジェクトがありました。1年半前に完成しましたが、併用絣の復刻は簡単ではありませんでした。スタート当初、関係者は口をそろえて「50年間途絶えていて、絶対にできない」と言っていたそうです。しかし、会の熱意あるメンバーが職人ひとりひとりのところにお願いしてまわり、ある職人さんのところには9ヶ月通い続けたところ、ついにその熱意が伝わり、職人さん達のGOサインが出たそうです。

そして平均年齢80歳という20人の職人さんたちによって、14段階の工程を経て、見事なまでに美しい併用絣が完成します。デザインは”赤煉瓦”、”時報鐘楼”、”つつじ”の3柄で、世界的に活躍するテキスタイルデザイナー須藤玲子さんがボランティアで手がけたものです。須藤さんがイギリスにある国立博物館・ビクトリア&アルバート博物館に連絡したところ、博物館側から「復刻した伊勢崎銘仙・併用絣を博物館で永久保存したい」という申し出が届いたそうです。この朗報に杉原さんは「私たちのみならず伊勢崎銘仙に関わった先人の方々を含めた全部を評価してくれたことが本当にうれしかった」と語ります。

ビクトリア&アルバート博物館では、2020年3月中旬~7月初旬に開催される「ジャパンフェア」で、復刻した伊勢崎銘仙・併用絣が展示される予定です。杉原さんたちはツアーを組んで大勢で喜びを分かち合おうと計画しているそうです。

杉原さんは「今後は、消えてしまう伊勢崎銘仙のアーカイブ化・記録とともに、日本人として着物文化の伝承、そして銘仙の価値をスイス、アメリカ、フランス、ドバイなど多くのところに伝えていきたい。」と目を輝かせています。

インタビュー:川上直子

        

 

 

 

8/8 いせさき銘仙の会 代表世話人 杉原みち子

杉原みち子さんは、大正から昭和にかけて流行した伝統的な絹織物・伊勢崎銘仙の魅力をPRし、後世に伝えようと活動する「いせさき銘仙の会」の代表世話人。

「いせさき銘仙の会」立ち上げのきっかけは、平成21年に赤石楽舎で行われた「想い出の銘仙展」。最終日に出かけた杉原さんは、銘仙のあまりの美しさに目を奪われ、この銘仙で伊勢崎の街中を埋め尽くせたら・・・と思い、すぐに市長に「銘仙の日」の制定をお願いし、紆余曲折ありながらも平成22年3月に「いせさき銘仙の会」が発足したそうです。「銘仙の日」は、3月の第1土曜日に制定されました。

伊勢崎銘仙の魅力について杉原さんはこう語ります。

「縦糸と横糸、両方に先染めすることで、鮮やかな色彩になること。そしてポップでコンテンポラリーで、斬新なデザイン!草木染めから、いち早く化学染料を取り入れた伊勢崎銘仙は今でもアンティーク銘仙として全く色は変化していない。海外の人が今見ても新しいと感じるもので、柄は、蒙古襲来や万里の長城、ピラミッド、鯉の滝のぼり等、伊勢崎銘仙独特のデザインがあり、スプートニク、パリ万博のエッフェル塔、エリザベス女王戴冠式のウェストミンスター寺院、美智子さまのご成婚の時はテニスラケット、ダッコちゃん柄など、まさに何でもあり!見ているだけ、着るだけで楽しい柄があるところ。」

         

会の活動として、今年7年目を迎えたファッションショー「銘仙レボリューション」を実施している他、富岡製糸場と絹産業遺産群の世界遺産決定時には、銘仙を着ての浅草・銀座街歩きをし、地元の中学生へはふるさと学習として銘仙教室も開催しています。参加型体験型の教室で、生徒に銘仙を着てもらい、先人の功績を知ってもらう銘仙クイズを実施したり、ファッションショーも行うそうです。また、婚活・赤い糸プロジェクトともコラボし、参加男女に銘仙を着てもらったところ、今までになく多くのカップル成立したそうですよ。

杉原さんは「伊勢崎銘仙の魅力と、先人の努力を伝えるのが私の使命」と目を輝かせています。

インタビュー:川上直子

    

 

8/1 アトリエ ラ・ソワ 浦野祐子

着物や帯をバッグなどにリメイクする「アトリエ ラ・ソワ」の立ち上げから2年。様々なオーダーを受ける中、浦野祐子さんが印象に残ったリメイクのご注文は・・・103歳で亡くなったおばあちゃんの丸帯のリメイク。一年忌に形見分けとして、袱紗12枚、トートバッグ3つ、タペストリーに仕上げたそうです。みんながおばあちゃんの帯で作ったおそろいの袱紗を持つって素敵だなぁと感じたそうです。

終活、生前整理という言葉への抵抗が少なくなってきた昨今、「自分のものを自分の意思で自分のセンスで残したい!」と思う方が増えたように感じているという浦野さん。誰に、どれを、どう渡すか・・・楽しい整理にラ・ソワを活用してもらいたいと話します。

          

着物や帯の柄のどの部分を使うかは、デザインを決める時の大切なポイント。かなり印象が変わるため、たとえば黒留め袖の場合、全面柄だとしつこいので、黒を活かしてどこをどう使うか・・・お客様と相談するのも楽しい時間だそうです。また、喪服の家紋の部分を活かしてブラックフォーマルバッグにリメイクし、実家の家紋を娘・孫へと引き継いでいくのもオススメだそうですよ。

「思い出のたくさん詰まったものが、新しい形になり、新しい物語が始まるのがうれしい!」と語る浦野さんのアトリエには、県外からも注文が舞い込んでいます。

アトリエ・ラ・ソワ  https://atelier-la-soie.com/

インタビュー:川上直子

 

 

7/25 アトリエ ラ・ソワ 浦野祐子

浦野祐子さんは、着物や帯をバッグなどにリメイクする「アトリエ ラ・ソワ」を運営しています。「ラ・ソワ」とは、フランス語で「絹」という意味です。

グラフィックデザイナーや肖像画の水彩イラストの仕事を経て、2年前、渋川市の自宅に「アトリエ ラ・ソワ」を立ち上げた浦野さん。きっかけは、3年前出席した若い友人の結婚披露宴。新婦の母親以外、着物を着ていたのは浦野さんだけだったことに驚き、「着物はどうしちゃったの?」と危機感を抱いたそうです。また、同じ頃、着物をリサイクルショップに出したら「タンスに一竿で500円、1000円と言われた・・・」という話を耳にし、着物をなんとか活かしたい!と思ったそうです。そして、これから先何をしよう・・・と考えたとき、子供の頃から大好きだった針と糸を持つ仕事がいいという気持ちが合わさって、試しに着物をバッグに仕立てたら、はじめからいい出来で、「あら、これは私向きかも♪」と、どんどんバッグを作ります。

ただ自分に厳しい浦野さんはすぐにアトリエを立ち上げず、さらに上を目指します。既製品として売っているバッグのようなクオリティを求め、懇意にしている浅草橋の材料専門店にバッグ作りのプロの職人を紹介してもらい、そのプロのワザを目で見て習得した浦野さん。バッグの質が数段アップし、ようやく「アトリエ ラ・ソワ」をオープンしました。

    

ご主人やお姑さんの協力、友人からの応援にも支えられてスタートしたという「アトリエ ラ・ソワ」。浦野さんは、リメイクを通して着物に新しい命を吹き込みます。

アトリエ・ラ・ソワ  https://atelier-la-soie.com/

インタビュー:川上直子