『春なので愛だの恋だの考えてみた』
UP DATE 20180409

 冬から一気に初夏のような陽気へ移ってしまい、今年は春が省略されたような気がしないでもないですが、新年度を迎えた今、人間の心理的には正に春真っ盛りのはずです。春という季節は、60%以上男女が春に恋愛をスタートさせたいと考えているというフェイスブックの調査にもあるように、恋の季節とも言われています。そこで今週は「春なので愛だの恋だの考えてみた」と銘打ち、音楽の中で語られる愛や恋の風景についてライナーノーツしていきます。
 音楽界の愛の伝道師ともいえる美輪明宏さんは「恋というのは、自分のために相手が必要だというエゴなんです。それが恋から愛に入ると、相手本位になりますから、自分のエゴはどこかに行ってしまう。そうするともう怖いものはなくなります」と恋と愛の違いについて説いていました。それは“心”の配置が異なる漢字の成り立ちにも現れており、サザンオールスターズの「SEA SIDE WOMAN BLUES」では「“愛”という字は真心で “恋”という字は下心」と、美輪さんのいう他人本位=真心、自分本位=下心と愛と恋は腑分けされています。
 ロキシー・ミュージックの「ラヴ・イズ・ザ・ドラッグ」の例えのように、恋はどうやら人を身勝手にしてしまう媚薬にして劇薬でもあるわけですが、少し視線を変えて愛と恋を考察してみますと、ここ最近の世界情勢を予言したかのようなキリンジの「恋の祭典」は、恋と愛の中に国と国の争いごとを透かし絵のように映し出していきます。「恋の祭典 マス・ゲーム 愛の祭典 夏のミサイル」というサビの一節を抜き取ると、自分本位はもちろん、「守る」という考えが行き過ぎた末の他人本位も戦争の火種になっていることが読み取れます。タモリさんの名言「LOVEさえなければ、PEACEなんだよ」にも重なる、キリンジの名フレーズは実際にミサイルが空の上を飛ぶ危険を孕んだ今だからこそ咀嚼したいところです。
 サーカスの隠れた名曲「愛で殺したい」も、タイトルそのままに行き過ぎた愛の末路を描いています。相手のすべてを受け入れながらも、それが行き過ぎた末、最後にはエゴが突出し相手を所有したい欲に駆られる歌詞の主人公は、恋から愛に転じる正しい手続きを言語化した「恋愛」の逆の手続きを踏んでいます。美輪明宏さんは「最近の人たちの『恋愛』は、ほとんど逆に入っているからうまくいかない。つまり『恋愛』の入口と出口を間違えている」ともお話されていたのですが、近年顕著になってきた高齢者の恋愛のもつれによる事件も、入口と出口が逆の恋愛が読み取れ、恋に転じた時の身勝手さが加速するという意味で、危険だということを肝に命じたいところです。
 このように知れば知る程、恋愛が厄介な感情であるのは、音楽だけでなく古今東西の文学でも演劇でも散々描き尽くされているわけですが、ノーベル文学賞を獲得したボブ・ディランならどう言うのか調べたところ、1965年前後の同時期に “LOVE”に関する楽曲を2曲書き下ろしていました。自身の楽曲「ラヴ・マイナス・ゼロ/ノー・リミット」は、後の妻となるサラ・ラウンズに捧げられた歌です。歌詞の最後に登場するカラスに例えられる「僕の恋人」は傷ついた羽で「ぼくの窓辺」で休んでいます。カラスは聖書の預言書やギリシア神話で吉兆の伝言役として描かれますが、その末路はバッド・エンドです。そんなカラスに敢えて例えることで、ディランはどんな悪い知らせを持ってこようとも、自分の窓を開いて受け入れようとする—彼女に対する「愛」を示したのではないでしょうか。片や当時付き合っていたと噂されていたジョーン・バエズには「ラヴ・イズ・ジャスト・ア・フォー・レター・ワーズ」という楽曲を贈っています。「ぼくはさよならと言ったけど 気づいてもらえず」とか「永遠に続くと思われていた聖なるキスは あとかたもなく消え去るさだめ」とか、別れが示唆されながら「『LOVE』なんてたった四文字の言葉」と締めくくられる歌詞が意味するものは、バエズがディランの為に同行したイギリス・ツアーの最中、体調を崩したディランを見舞おうとホテルの部屋を訪れた際、ドアを開けたのが隠れて付き合い始めたラウンズだったことと符号します。そう、たった四文字の『LOVE』はディランにとっては自分本位で下心の「恋」にほかならなかったのです。

お送りしますのは
サザンオールスターズで「SEA SIDE WOMAN BLUES」
ロキシー・ミュージックで「ラヴ・イズ・ザ・ドラッグ」
キリンジで「恋の祭典」
サーカスで「愛で殺したい」
ボブ・ディランで「ラヴ・マイナス・ゼロ」
ジョーン・バエズで「ラヴ・イズ・ジャスト・ア・フォー・レター・ワーズ」です。